演出の羽田野 心境を語る

 私は「再放送の時代劇」が好きであります。特に「昔の時代劇」
を好みます。なぜなら、「昔の時代劇」はうさん臭いからでありま
す。画面は荒れてレトロな感じですし、メイクもやたらと濃く、妖
しい魅力に満ちております。そして、何より「これぞ時代劇」とい
う力強さが伝わって参ります。
 ちなみに、私が一番気に入っているのは、萬屋錦之助の「子連れ
狼」であります。彼の演ずる「拝一刀(おがみいっとう)」ほど、異
様な雰囲気を醸し出し「時代劇」をアピールしている主人公は他に
ございません。最近では田村正和が演じておりましたが、彼がやっ
たのではギャグにしかなりません。あれは「時代劇」ではございま
せん。カツラをかぶって京都で撮影しているから「時代劇」に見え
るだけであって、内容は「現代劇」であります。それは「水戸黄門」
にしろ「大岡越前」にしろ「遠山の金さんVS女ねずみ」にしろ、同
じであります。

・・・・・・いや、ちょっと待って下さいよ・・・・・・

 そう考えてみると、私の気に入っている 萬屋錦之助の「子連れ狼」
も、本放送の当時の視聴者にしてみれば、先の田村正和と同様にチ
ンプな「現代劇」だったのではないか、という疑念が生じて参りま
した。もしかすると、当時「現代劇」であったものが、時代の流れ
とともにいつの間にか「これぞ時代劇」という印象を与えるものに
変わっていっただけなのかもしれません。更に言うなれば、そもそ
も「時代劇」などと言うものは存在せず、江戸時代の格好をした人
が登場する「現代劇」が「時代劇」の名の元に営々と作られ続けて
来たのではあるまいか。

・・・もしそうだとすれば、
私は「時代劇」を見たことがないということか・・・

 このたび「時代劇」を作るにあたり、このような「時代劇」の存
在そのものの危機に直面してしまった私は、「時代劇を作る」とい
うよりも、これまでの「時代劇のウソ」をなくそうと決めたのであ
ります。
「時代劇のウソ」とは即ち、カツラをかぷり、着物を着て、セット
を立てることだけで「時代劇たれり」とすることでございます。私
は、現代の役者が演じる以上「時代劇も現代劇である」と捉えるべ
きであり、「時代劇のウソ」をなくすことで、「現代に生きる役者」
が「かつての時代を生き抜いた人物」を虚飾なしに演ずるための手
掛かりをみつけることができれば、と考えて作ってみたのでありま
すが・・・・・・いかがでやんしよ?
              1997年2月22日 演出 羽田野真男

                (「竹の間」パンフレット掲載)

『竹の間』をご覧になる前に
             〜MQ−01のワンポイント日本史講座

 こんにちは、MQ−01です。ごきげんいかがっ、と、本来ならこ
こでごあいさつというところですが、残念ながらそうもいかないの
です。
 というのも、今回の脚本について役者・演出家から「長い、面倒
、知らん!」と、大晦日の「第九」のような非難の大合唱を受けた
のみならず、先日久々に練習を見に行くと、(編注:この文章が書
かれた当時、MQ−01は「竹の間」には出演しない予定でした。)
事実関係の台詞がほとんど削られていました。それで「ふん、好き
にすればいいさっ」と二ヒルを決め込んでいたところ、「台詞を削っ
た代わり、観客の皆さんが分かり易いように時代背景を説明しろ!」
という命令を下されてしまったのでした。
 というわけで、面倒な内容ですが、しばしお付き合いを…。
 物語の舞台は天明四年、西暦で言えば1784年です。世界に目を
向けると、「チャイナ・エンプレス」号がアメリカ商船として初め
て中国の広州に到着し、W・ジョーンズがインドにベンガル・アジ
ア協会を設立した年です。すでに前年にはアメリカの独立戦争が
終結し、また85年にはイギリスで『ザ・タイムズ』が創刊され、
3ケ月遅れてE・カートライトが力織機を発明しております。
 こうして(!?)産業革命を成し遂げた欧米諸国による世界進出の
波が、日本をも洗い始めます。それまで長崎の「出島」でオランダ・
中国とのみ交易を行っていた幕府は、外交政策の分岐点に立たされ
てしまいました。鎖国を維持・強化するのか、開放政策へと転換す
るのか。工藤周庵の『赤蝦夷風説考』が出版されたのも、ちようど
この頃です。
 一方、日本国内も大きく変化していました。江戸幕府の下、戦争
のない時代が続き、日本の経済は急速に発展しました。この時期に
は全国の主要都市を網羅する流通網がほぼ完成しており、貨幣経済
も定着していたと言えるでしよう。
 しかし、このことが新たな問題を生み出します。その一つが幕府
の財政問題です。ご存じの通り、幕府の財政は「コメ(年貢)」を
基盤にしていましたが、そのコメ自体が投機の対象となり、年ごと、
銘柄ごとに価格が大きく変動するようになったのです。歳入の見通
しが立たずに予算なんて立てられないのは今も昔も同じこと。こう
なると幕府のとる道は二つに一つです。つまり、幕府が「行財政改
革」を行って自らを貨幣経済に合わせるか、逆にコメの流通を「規
制」して従来のシステムを維持するか、です。
 そこでこの物語の陰の主役、田沼意次の登場です。意次はオラン
ダとの貿易を盛んにするとともに、その他の外国、特にロシアとの
貿易を始めようと考えていました。また国内では、商品作物の栽培
を奨励して、そこから税金を取ることで幕府財政を立て直そうとし
ました。貨幣経済をさらに発展させようとしたとも言えます。
 これだけを見るとセンスは悪くないと思うのですが、どうも彼の
政策はあまりうまくいかなかったようです。お茶や煙草の栽培を奨
励したところ、農民は稲作をおろそかにして、いざ飢饉という時の
備えを怠ってしまいました。そこへ運悪く浅間山の墳火が襲いまし
た。ついでながら、官民、官官の賄賂・接待も横行し、秩序がおお
いに乱れたそうです。
 ここで登場してきたのがご存じ松平定信。稲作を重視し、倹約を
勧めて財政を立て直し、秩序と「倫理」の回復に努めました。いわ
ゆる「寛政の改革」です。今日、この時期が現代のアナロジーとし
て頻繁に使われているように思われますが、その構図は「バブルの
田沼」と「変革の定信」です。まあ現在の日本の雰囲気によく合っ
ていると思いますが、見方を変えると、彼の政策には百年後に明治
政府が行った政策を先取りしているところも随分とあります。そん
なところから、私は、田沼から定信への権力の移り変わりは、日本
の近世・近代史の中でも随分と大きな意味を持っているような気も
しています。せんないことですが、「もし田沼意次から息子の意知
へと権力が受け継がれていたら…」と空想を広げてしまいます。
 さて、最後に今回の芝居ですが、こうした時代の大きなうねりと
は「あまり関係のない」人々の話です。歴史の大きな分岐点となる
事件も、案外こんな些細なところで動いていたりして…、動いてい
たら面白いなあ…という気持ちで書きました。
 「どんなところで」かは、観てのお楽しみということで。
 では、ごゆっくりお楽しみください。
                          MQ−01

         (「竹の間」パンフレット掲載 1997年2月)

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