『楓ちゃん』
〜10月7日付け朝日新聞朝刊・天声人語に想を得て〜

(管理人注:この文章は2001年10月7日付け朝日新聞朝刊の天声人語に想を得て書かれたものです。内容はフィクションで、実在の人物とは関係ありません。)

 楓ちゃん

作文 1年C組 高木 洋子

 小学校6年生のとき、私たちのクラスに楓ちゃんという女の子がいました。生まれつき心臓やら肺やら脳やら、とにかくあちこちに病気があって、自分では何もできない子でした。朝、楓ちゃんのお母さんが白のワゴンに車椅子ごと乗せてきて、降ろし、教室まで車椅子を押してきました。だから、楓ちゃんの席には、椅子がありません。まあ、それはどうでもいいことだけど。
 席に着くと、楓ちゃんのお母さんは、「呼吸器」をセットします。呼吸器は車椅子に固定できるようになっています。それから保健室に行って「待機」します。時々、駐車場に止めてある車の中で仮眠をとったりもします。
 2時間目が終わると、お母さんは楓ちゃんにおしっこをさせに来ます。もちろん、楓ちゃんはレディーですから教室ではしません(男の子だって、しませんけど)。保健室に連れて行って、「吸引器」で吸い取るのです(楓ちゃんがおしっこをしているところを見たことはありません。私だって、おしっこしているところを友達に見られたくないもの)。吸引器は車椅子にセットしません。おしっこの装置が備え付けだと、なんだか恥ずかしい気がするでしょう。まあ、これもどうでもいいことだけど。
 給食の時間になると、お母さんは楓ちゃんにご飯を食べさせに来ます。食べるといっても口からではなく、鼻に差し込んである管から流動食を「注入」するのです。注入器は車椅子にセットできます。
 そんなこんなで、楓ちゃんの車椅子はいろんなオプション機能がついています。近代的にフル・チューンナップされた重装備の車椅子なのです。「近代的にフル・チューンナップされた重装備の車椅子」と言われても、ピンときませんよね。だから例えば、「アイボ」の頭からレーダーのアンテナが出てきたり、お腹からミサイルを発射したり、背中から翼がでてきて、足をたたんで空を飛んだりするようなものをイメージしてもらえればいいと思います。もちろん、冗談です。でも、ふざけてるわけじゃありません。ちゃかしたり、からかったりしてはいけないことだというくらい、私も分かっています。でも、冗談も言えないなんて何だか窮屈で気詰まりだし、そもそも、どう表現していいのか、よく分からないのです。
 給食の話でした。このご飯の「注入」が、お母さんの一番の仕事です。なぜかというと、ご飯の「注入」は、医療的ケアといって、保護者かお医者さんか看護婦さんしかできないからです。呼吸器のセットも医療的ケアです。おしっこの世話は医療的ケアではありませんが、他人にはあまり見られたくないから、やっぱりお母さんがやるのです。
 関係ありませんが、私は他人のおしっこのお世話をしたことがあります。今年から始めた老人介護のボランティアで寝たきりのおばあさんのお世話をしているので、お風呂やご飯のお世話も、大小それぞれのお世話もするのです。「私にできるだろうか」と心配でしたが、今は器械がすごいのです。とても下のお世話をする器械だとは思えません。エアコンの下あたりに取り付けてあったら、小型の空気清浄機だと思うかもしれません。きれいだし静かだし、人によってはお洒落だと言うかもしれません。そう、私は中学に入ってから、ボランティアを始めたのです。私がボランティアを始めると言ったら、両親は特に喜びもしなかったけど、反対もしませんでした。お父さんはビールを飲みながら「そうか。いいことだから、しっかりやりなさい」と言いました。お母さんはビールを注ぎながら「そうね。大変だろうけど、しっかりやりなさい」と言いました。私は「とにかく、しっかりやろう」と思いました。今でも、第2・第4日曜日にはボランティアに参加しています。
 さて、次は掃除です。掃除の時間、楓ちゃんはお母さんの車に行きます。もちろん、お母さんが連れて行きます。楓ちゃんは掃除をしませんし、保健室もやっぱり掃除をするので、一時的に避難するのです。その間に、おしっこをしているのかもしれません。目薬を差しているかもしれません。そうそう、お母さんは、ときどき目薬を差しに来ます。楓ちゃんは、あまりまばたきをしないらしいのです。変な表現ですね。実を言うと、私たちは、楓ちゃんがまばたきしたところを見たことがないのです。ずっと、目を開けているのです。本当にまばたきしないのかどうか、友達と見張っていたことがあります。でも、誰かがまばたきするかどうかを見張るのは、意外に難しいことです。なぜなら、見張っている私たちがまばたきしてしまうからです。「ビデオで撮ればいい」なんて言わないでくださいね。そんな失礼なことはしません。授業中、先生の監視の目をかいくぐりながら、困難な任務を遂行したのです。「ミッション・インポッシブル2」です。
 でも、そんな事情から、ちっともらちがあかないので、ある時、友達が思い切って楓ちゃんのお母さんに聞いたことがあります。怒られたらどうしようかと思いましたが、楓ちゃんのお母さんは、ちょっと笑って「するのよ。まばたきもするし、くしゃみだってするの。ときどきね」と答えました。私たちは、楓ちゃんがくしゃみをするなんて、想像したこともありませんでした。「学校へ行くようになって、風邪を引かなくなったわ」とお母さんは言いました。
 そして、月・水・金は5時間目まで、火・木は6時間目まで授業があって、それが終わると、またお母さんのワゴンに乗って家に帰るのです。
 これが、楓ちゃんの学校での一日です。あっ、ううん。違う違う。授業中のことを書いていませんでした。そう、授業中、楓ちゃんは何もしません。正確に言うと、ほぼ、何もしません。うーん、ちっとも正確じゃありませんね。つまり、楓ちゃんは発言しませんし、先生の板書をノートに写しませんし、テストも受けませんし、だから採点された答案用紙を受け取りにも行きません。ただ、そこにいるのです。ただ、そこにいて、でも授業に参加しているのです。うまく言えません。楓ちゃんは私たちに話しかけませんし、先生も私たちも特に話しかけません。ときどき話しかけるけど、返事を期待してるわけじゃないし、返事もありません。楓ちゃんが返事をしたら、それは奇跡です。「医学的」にあり得ないのです。でも、楓ちゃんがいると、私たちは「楓ちゃんがいる」と感じますし、楓ちゃんがいないと、「楓ちゃんがいない」と感じるのです。そして、何かのきっかけで、うれしそうにします。例えば、クラスの男の子たちがバカな冗談を言ったり(彼らは、ほんっとにバカです)すると、にっこり笑っているように見えるのです。「見える」というのは、つまり、具体的に、にっこり笑っているわけではないのですが、何となくにっこり笑っているように、私たちには感じられるのです。
 大変です! 大事なことを書き忘れていました。読んでいる人は、話がよく分からなかったかもしれません。何かというと、楓ちゃんは目が見えません。耳も聞こえません。声も出せません。体は微妙に動かします。うーん、これも正確ではありません。でも、うまく言えません。さっきも書いたように、楓ちゃんの目はほとんどいつも開いています。私がのぞき込むと、楓ちゃんの瞳に私が映っています。その意味では見えています。私たちの声や町の音も、たぶん耳には届いているでしょう。ときどき、喉の奥から木の葉の擦れ合うような音を出します。でも、どんなときにその音を出すのかは、よく分かりません。体は微妙に動かします。何だか、サリヴァン先生みたいです。じゃなくて、ヘレン・ケラーみたいです。あれっ? サリヴァン先生? ・・・いいえ、ヘレン・ケラーみたいです。・・・ちょっと違うかも。
 とにかく、何でそんなふうになるかというと、楓ちゃんの脳と、目や耳や喉やその他の体の器官が、うまくつながっていないのです。だから、何かが目に映っても、それが脳に届いて「今見えているのは、○○だ」という具合に判断ができないのです。黒板に「今月の目標:廊下を走らない」と書いてあっても、「そうだ、廊下を走るのはやめよう」とは思わないのです。もちろん、楓ちゃんは廊下を走りません。どうでもいいことですが。ちょうど、テレビとビデオをコードでつないだのはいいけれど、接続が違っているのか、コードが途中で断線しているのか(電源は入っています)、とにかくビデオデッキにテープをセットして再生ボタンを押しても、映画が映らないようなものなのだそうです。
 これを「医学的」に説明すると、日常的に意識があまりない、のだそうです。「日常的に意識があまりない」というのがどんな状態なのか、私にはまるで分かりませんが、もっと医学的に言うと「脳波が少しある」のだそうです。ますます分かりません。医学は私たちに喧嘩を売っているのでしょうか。とにかく、テレビもビデオもあるんだけど、何かが間違っていて使えないのです。
 じゃあ、何で「日常的に意識があまりない」もしくは「脳波が少しある」子が、普通の(変な表現だけど、他に思いつきません)学校に通っているのかというと、楓ちゃんの家の近くに養護学校がなかったのと、ご両親が楓ちゃんを普通の(変な表現です。くどいけど)、学校に行かせたいと考えて、楓ちゃんが9歳になるときに、お医者さんを説得して楓ちゃんを退院させ、私たちの小学校の校長先生にお願いして、特例として入学を認めてもらったのだそうです。楓ちゃんが入学するときに、たしか全校集会があって、校長先生が何かお話しされたと思いますが、何を話されたかは覚えていません。多分、「仲良くしましょう」ということだったと思いますが、何しろ私たちの目は、壇上の校長先生の隣のヘビーで近代的な車椅子に座った楓ちゃんに釘付けだったのです。
 3年生に編入された楓ちゃんは私の隣のクラスでしたので、私たちは物珍しさから、休み時間になると楓ちゃんをのぞき見に行きました。車椅子に座った楓ちゃんは何もしていませんでしたけど、私たちは何か珍しいものを見たときのように、キャーキャー騒いでいました。でも、隣のクラスの先生から「珍しいものを見るような目で見てはいけません」と叱られましたし、そう言われてみると、私たち自身も、何かとってもいけないことをしてしまったときのような、例えて言うなら、とってもいけないことをしてしまったときのエピソードはいくつか思いつくけど、あと20年は経たないととても言えないようなことをしてしまったときのような後ろめたい気分になって、それ以来、のぞき見をしなくなりました。ときどき廊下ですれ違いましたが、楓ちゃんだか、楓ちゃんのお母さんだかに対して、「こんにちは」と挨拶をするぐらいでした。
 それから2年が経ち、5年生になるときのクラス替えで、私は楓ちゃんと同じクラスになりました。でも、楓ちゃんは何も変わりませんでしたし、私たちと楓ちゃんの関係も特に変わりませんでした。ただ、楓ちゃんは私たちにとって何か「空気のような」存在、そこにいるのが当たり前で、いないと何かが欠けているように感じる存在として、確実にクラスの一員になっていきました。

 ようやく長い長い前置きが終わりました。ちょっと説明が長くなりすぎました。「前置き」と聞いて、うんざりしている人もいるかもしれません。なかには怒っている人もいるでしょう。でも、私が皆さんにお話ししたいことは、これからやっと始まるのです。どうか、あと少しだけガマンしてください。

 そんなふうにして、楓ちゃんと私たちは約1年半をいっしょに過ごしました。その間に、遠足もありましたし(楓ちゃんは白いワゴンに乗って山頂まで来て、私たちの広げたビニールシートの横で流動食を注入されながら、とても楽しそうに見えました)、球技大会、写生大会、水泳大会、運動会、文化祭、合唱コンクール、卒業生を送る会、新入生を迎える会、そしてまた遠足(楓ちゃんは白いワゴンに乗って山頂まで来て、・・・以下省略。どうして毎年、同じところへ行くのでしょう)があって、私たちはいつも楓ちゃんと一緒でしたが、修学旅行には来ませんでした。
 楓ちゃんと私たちは、とくに友達らしいことはしませんでしたが、多分友達だったと思います。楓ちゃんの誕生日に私たちが招かれることもありませんでしたし、私たちがクリスマス会に楓ちゃんを誘うこともありませんでした。よんだって構わなかったんだけど、何となく、それは違うような気がしたのです。でも、もし誰かに「楓ちゃんはお前の友達か」と聞かれたら「友達だ」と答えたでしょうし、「友達じゃないか」と聞かれたら、やっぱり「友達だ」と答えたと思います。

 あっ、これも前置きでした。怒らないで! 本当にごめんなさい。今度こそ、今度こそ、あの日の「出来事」についてお話しします。あとちょっとだけ、ガマンしてください。

 それは1年前のちょうど今頃、運動会が終わって、私たちが文化祭の準備で授業もうわの空だった、ある秋の日のことでした。5時間目(学級会だったか、社会科だったか、よく覚えていません)の始業のチャイムが鳴っても、担任の野口先生はやって来ませんでした。いつもなら、始業直前には教室の外で待っていて、チャイムと同時に入ってくるのに。私たちはちょっと変だなと思いましたが、フツ〜におしゃべりしていました。言うまでもありませんが、「自習していよう」なんて、クラスの誰一人として思いつきませんでした。
 結局、野口先生が来た、じゃなくて、いらっしゃったのは、チャイムが鳴って10分ほど経ってからでした。先生は少しうつむいて「遅れてごめんなさい」と謝られ、そこで言葉を切りました。その様子を見て、私は思わず「ドンマイ」と声をかけてあげたくなったほどでした。それから、先生は顔を上げ、低い声でゆっくり、はっきりと「みなさん、楓さんは今日でお別れです」とおっしゃいました。みんな、あんまりびっくりして、声も出ませんでした。唐突すぎました。まったく知りませんでした。慌てて後ろを振り返ると、当の楓ちゃんも驚いているように見えました。私だけじゃなく、みんなが振り返っていました。楓ちゃんが何か言ってくれるのを待っているかのように、あるいは一言も教えてくれなかったことを責めるかのように。
 誰も何も言えずにいると、先生は「今日は楓さんのお父様がお別れのごあいさつにいらっしゃっています」そして、ドアの向こうに向かって「どうぞ、お入り下さい」とおっしゃいました。
 ドアから入ってきたのは、わりと背が高く、少しやせていて、軽く日焼けしていて、静かで優しそうで眼鏡をかけた、有名人にたとえるなら糸井重里と森本レオを足して2で割ったような人でした。おそらく、好きなプロ野球チームを尋ねたら、セ・リーグならジャイアンツ、パ・リーグならライオンズと答えたでしょう。そう言えば、運動会のときに一度見たような気がします。どこの野球帽をかぶっていたかは忘れましたが、世のお父さんたちよりはちょっと控えめに、ビデオをまわしていたと思います。テントの下のピカピカ光る車椅子に座った楓ちゃんや、その他の風景を。
 楓ちゃんのお父さんは、予想通り静かに優しい声で「今日はみなさんにお礼を言いたくて来ました。今まで本当にありがとう」とおっしゃいました。
 「楓は、学校が大好きです。そして、みなさんが大好きです。お分かりだと思いますが、楓が一番ご機嫌なのは、月曜日の朝です。これから楽しい一週間が始まるからです。体をイッパイに使って、うれしいと言います。反対に一番機嫌が悪いのは、金曜日の夜です。ふさぎ込んでしまって手に負えません。
 みなさんと友達になって、楓は元気になりました。めったに風邪を引かなくなりました。くしゃみはときどきします。それから、表情が豊かになりました。笑ったり、悲しんだり、とても生き生きしています。たまに怒ることもあります。こんなこと、入院中にはなかったことです。
 本当は、養護学校に入れるべきだったのでしょう。でも、僕はこの子をどうしても普通の学校で育てたかった。君たちと同じ環境で育てたかった。ずいぶん無理なお願いをして、多くの方々にご迷惑をかけましたが、自分の選択は間違っていなかったと信じています。事情があって、楓は遠くの養護学校へ通うことになりましたが、僕は諦めていません。またいつか、楓がみなさんと会える日が来ると思っています。」
 楓ちゃんのお父さんは、とても真面目に話してくださいました。まるで大人を相手に話しているみたいで、私たちは正直なところ、ちょっと戸惑いました。でも、真剣に聞きました。小学生を相手に一生懸命話す大人なんて、そう多くはいないのです。難しいところもあるけど、頑張って聞かなくては、と思いました。
 「楓が生まれて、僕たち夫婦はいろんなことを考えるようになりました。それまでには想像できないくらい、深く考えるようになりました。どうしてこの子は生まれてきたのだろう。しかも、僕たち夫婦の子どもとして。何をするために生まれてきたのだろう。何もできないのに。僕たちは、なぜこの子を育てようと決めたんだろう。この子を育てることは、僕たちにとって何の意味があるのだろう。
 もっと小さなことも考えます。この子は今、何を見ているのだろう、と考えます。すると、楓の視線の先にあるものを探します。そして、考えます。その先に雲があれば、雲について。街があれば、街について。何もなければ、見えない何かについて。それから、耳をすませます。そして、考えます。楓が聞いているであろう音について。アラスカに住む人々は、雪を20種類以上に分けて呼ぶそうです。僕たちは、今、街の音を100種類以上に区別することができます。『いつもより売れ行きが悪い日の八百屋さんの空元気なかけ声』とか、『カラスに餌場を占領されて困っているんだけど、いまいち危機意識に欠けるハトの鳴き声』とかいった具合です。
 まだ、あれこれ考えている途中ですが、はっきり分かっていることも、いくつかはあります。例えば、楓は幸せになるために生まれてきた、ということです。なぜなら、楓は日増しに幸せになっているからです。また、僕たちがこの子を育てるのは、僕たちが幸せになるためだ、ということもはっきり分かっています。それは、僕たちがとても幸せを感じているからです。楓のおかげで、毎日がとても充実しています。楽しいのです。そりゃ、苦労はあります。でも、子育てをすれば、誰だって苦労します。苦労のかからない子どもなんて、存在しないのです。苦労の種類は人によってそれぞれ違うし、同時にみんな同じなんです。うまく言えないけど、これは間違いないことなんです。」
 楓ちゃんのお父さんは、ますます一生懸命になっていました。声もだんだん高くなってきましたし、話し方も熱っぽくなってきました。額に少し汗が浮かんでいました。私たちに向かって語りかけているのですが、もっと大勢の人たちに訴えかけているようにも思えました。
 「楓は、そんなに永くは生きられないでしょう。多分、僕よりも先に死ぬでしょう。それは悲しいことだけど、反対にそうあってほしいとも思います。現実的な理由はいくつかありますが、何より、この子の死を自分たちで見届けたいのです。
 楓が、なぜ僕たちの子として生まれたのか、なぜ僕たちはこの子を育てるのか、そしてなぜ、楓は僕たちの前で死んでいくのか、そこにはきっと意味があると思うのです。僕は、その意味を考えたいのです。それはとても難しい問題なので、じっくり考えなければなりません。とても時間がかかることなのです。だから、楓が死んだ後も、僕は生きて、答えを探さなければなりません。
 最近、何となく分かってきたような気もします。でも、漠然としすぎていて、どちらかというと、ヒントとか手がかりと呼んだ方が正しいかもしれません。
 僕は、よく『意味』について考えます。楓の命、人生、・・・つまり、楓が僕たちと一緒に生きたことには、意味がある。どんな意味かは、まだ分からない。でも、楓が僕たちと過ごしたことが、僕たちに何かの影響を与え、記憶として残り、記憶は意味を生み、記憶が消えた後も−−それは悲しいことだし、僕たちだけは忘れちゃいけないと思うけど、いつか忘れて、顔も思い出せなくなる日が来るかもしれない−−、意味として残るのだと思う。それは風のようなものです。どこかで生まれて、僕たちのところに届きます。僕のところに届いて、そこから誰かのところに届いて、また誰かのところに届いて、そしてまた僕のところに届きます。いつも私たちに向かって吹いているのです。だから、僕は楓に『ありがとう』と言いたい。そして、君たちにも『ありがとう』と言いたい。楓が君たちと一緒に過ごしたことで、君たちが楓に風を送ってくれたから。
 反対に、楓が君たちに風を送っていればいいなと思う。だって、楓にはそれ以外にお礼ができないから。手作りのクッキーを持ってくることもできないし、算数の宿題の答えをこっそり教えてあげることもできない。『ありがとう』さえ言えない子だから。それが楓にできる唯一のお礼なんだと思う。今はまだ分からなくても、いつの日か、楓から送られた風を感じ取ってくれたら、僕たちはとてもうれしい。」
 そこまで話し終わると、楓ちゃんのお父さんは、フッと息を吐きました。声はかすれ、震えていました。そして、もう一言も話せないとでも言うように口を結び、どこか遠くの方を見つめていました。
私はもう、頭がいっぱいでした。何を言えばいいのか、そもそも何を考えていいのかすら、分かりませんでした。だから、黙っていました。みんな、黙っていました。何を言えばいいのか分からないときは、何も言わない方がいいのだと思いました。仕方がないので、じっとお父さんを見つめていました。
 楓ちゃんのお父さんは、まだ何もない遠くを見つめていました。自分の言葉を、言葉の意味を、ゆっくり反芻しているようでした。私たちに伝え残した言葉がないかどうか、一言一言、慎重に確認しているように見えました。
 その時、お父さんの目が何かを捉えました。すると、その目は大きく開かれ、次にわずかに口が開きました。そして、そのまま固まってしまいました。私たちは、何気なくその視線を追いかけました。その視線の先にあるものを見つけたときも、最初は何が起こっているのか、分かりませんでした。そこで起こっている「出来事」が理解できたとき、誰かがハッと息を飲みました。続いて私たちもハッと息を飲みました。こんなときの作法を突然思い出したかのように。飲み込まれた息は、しばらく戻ってきませんでした。
 私たちの視線の先で、楓ちゃんは泣いていました。多分、泣いていたのだと思います。表情は何一つ変わっていませんでしたが、二つの瞳からは大粒の涙がボロボロと落ちていきました。信じられませんでした。あり得ないことでした。楓ちゃんが涙を流すというのは「医学的」にあり得ないのです! 私たちの目の前で奇跡が起こっているのです。サリヴァン先生です。ヘレン・ケラーです。もう、どっちでもいいです。嘘じゃありません。みんなが目撃者です。夢だったような気もしますが、でも本当です。楓ちゃんは泣いていました。
 呆然としていた楓ちゃんのお父さんは、ふと我に返ると、世界の誕生にまつわる謎を解いたかのように、ゆっくりと優しく微笑みました。「僕は、うまく言えたかい?」
 すると、楓ちゃんは涙を流しながらうなずきました。もちろん、楓ちゃんがうなずくことは、「医学的」にあり得ません。物理的にもうなずきませんでした。でも、私は確信を持って言えます。楓ちゃんはうなずきました。「ありがとう」と言うように。

 私が目撃した「出来事」は、これで終わりです。翌日、楓ちゃんはもう学校に来ませんでした。母から聞いた話では、遠くの養護学校に通うため、引っ越したのだそうです。この近くでは楓ちゃんを受け入れてくれる「普通」の中学校がなかったので、どうせ来るなら一日も早くいらっしゃいと、先方の校長先生が熱心に誘ってくださったとのことでした。その養護学校は、設備も整っていて、専門の資格を持ったスタッフもいるので、お母さんが一日中学校で「待機」していなくてもよいのだそうです。緑に囲まれて、環境もよいそうです。
 私はというと、まだ考え中です。「意味」は分かりません。時間がかかると思います。でも、「風のようなもの」は感じます。それは、間違いなく私のところにも届いています。いつかきっと、分かるでしょう。

おわり

(2001.10.06 Qui-Ta)

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